過去のお知らせ

閻魔庁から来た使い

さて。

時は平安時代の終わり頃。
現在の宝塚にある清澄寺(清荒神さん)に
尊恵という僧がいたそうなのですが…

この尊恵あてに閻魔庁から使いがやってくるところから
経箱にまつわるお話が始まります。
講演会の内容をベースにまつい風味でご紹介しましょう。

来る二十六日の早旦、琰魔羅城大極殿に来集せ披る可し。
宣旨に依り、誳請件の如し。
承安二年十弐月廿二日 琰魔庁

尊恵の蘇生譚・後日譚を記した「冥途蘇生記」には、
閻魔庁からの使いがこんな手紙を尊恵のところに持って来たと
書かれているそうです。

大雑把に要約すると
 26日朝イチで俺んとこ来いよ by 閻魔
ってなところだと思いますが、
閻魔様に会いに行くということは、さらに解釈を進めると
 26日の朝に死んでね by閻魔
という意味でしょうか?!

当時における人の生死の概念や
仏教的概念などがどうだったかはよく知りませんが、
尊恵上人は招待状に特に疑問を抱くことがなかったのか
この承安2年から毎年1回・全部で4回
閻魔王宮にお出かけした模様です。

閻魔王宮は死ななくても行けるところなのか;
はたまた尊恵は死と蘇生を繰り返したのか;;

ともあれ、閻魔王宮に出かけた尊恵は
閻魔書写の真文11軸をプレゼントされたり
閻魔王宮十万僧会のためにお経を集めるように依頼されたり
するワケなんです。

するとやっぱり、これらをしまっておく箱が必要だよね♪
ということで経箱へお話が繋がっていくのですが…

 

… To be continued.

Written by まつい@欽山

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