銅製経箱・魅惑の中身
この銅製経箱発見のきっかけは、
伝えによると、
享禄元年(1528)に温泉寺で大火があり、
薬師如来像の頭部が落ちて割れた際に、
錦の袋が現れて…
経典についての記録が見つかり、
記録に基づいて宝塔の下を掘ると云々。
昔のことです。
又聞きの又聞き情報は様々な形で波及していきます。
今我々が目にしている経箱には
閻魔王から贈られた経典が入っていたのか、
閻魔の勧進状に基づいて尊恵が集めたお経が入っていたのか…
神戸市の文化財展で展示の際には中に「焼け経」が入っていましたが、
当時のものかどうかは???(謎)
現在は残念ながらその「焼け経」も残っていません。
調査ではいくつかの理由から後者の見方が強まっているようですが、
享禄大火の当時は閻魔王の経典が収められていたと
広く信じられていたようです。
三条西実隆なる麿の実隆公記というブログ日記にも
金・銀・銅の三重の箱に納められた閻魔王のお経が
火事のあった温泉寺から出てきたらしいよ♪
と概ねそんなような内容が書かれており、
このニュースが大ブレイク!!(想像)
ちなみに、講演会資料によると…
宝塔の下から箱を掘り出した時は銅箱が朽ちていて開けられなかったので
誰も中身を確認できなかったとかなんとか(;^_^A
この箱は、かつて
「閻魔王のお経が入っていたんだよ」と信じた人の思いが
歴史と歴史のはざまから我々に贈る
そんな「素敵なプレゼント」なのデスよ。
史学的には“本当は何が入っていたのか”探求することも
重要なのだと思いますが・・・
中に入っているのは夢とロマン!
素敵なプレゼントは素敵なプレゼントとして
そのまま受け取っておけば良いのではないでしょうか