源平の昔をたずねて4
せっかく須磨に来たのだから、
須磨寺には行っておかねばなるまいよ!
ということで。最後に須磨寺へ向かいました。
淳和天皇のころ(823~833年)に
和田岬の沖で漁師が聖観音像を引き揚げ、
会下山の北峯寺に安置していたのを、
886(仁和2)年に聞鏡上人が
須磨の地に移したのが始まりとされています。
しかし、本堂よりも何よりも!
まず一番に目に入るのが源平の庭。
若武者・敦盛と熊谷直実の姿を再現しています。
また、宝物館では敦盛愛用の「青葉の笛」や
弁慶が陣鐘の代用にしたという「弁慶の鐘」など
貴重な宝物が展示されていたり、
境内には義経腰掛松、敦盛首洗い池、敦盛首塚など、
源平の昔を今に語り継ぐ様々なものがあります。
ですがそれだけではありません。
写真の他にもいろいろと「!」がたくさんあったのですが、
興味深い…というか、謎めいた面白さがこみ上げてくるというか、
何やら微妙に探偵ナイトスクープ的“パラダイス”の香りを
感じてしまいました(笑)
【須磨寺余談】山陽電鉄「須磨寺」駅北口にて
改札を出てすぐのところに
『平重衡とらわれの遺跡』の碑があります。
昔はここに腰掛の松があったそうで、
『平重衡とらわれの松跡』とも呼ばれています。
今はただこの碑があるのみですが、
平家物語を知る人であれば、
ここより鎌倉に下向する重衡の物語にも
敦盛とはまた違った愛惜を感じることでしょう。